竜の軌跡

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  --7--  

「レイ様、穹天と契約をなされたのですね! おめでとうございます!」
 契約の一報を聞くな否や、海神が部屋の扉を破壊する勢いで飛び込んできた。先刻の真面目な顔はどこへやら、である。
「あ、ありがとう。それで空花くうか州の方からの伝令ってのはなんだったの?」
 レイが訊ねると海神は笑顔を引っ込め、とたんにしゅんとなる。
「それが……突破されてしまったようなのです」
「……え」
 予想以上にひどい状況になっているらしい。地図で確認したところ、空花州は天権国の最南東にあり、玉衝国との境にあたる州だ。玉衝軍はこのまま一直線に王都、山護を攻めてくるつもりだろう。
「玉衝から宣戦布告されたばかりですからね。空花は特に護りを固めておいたのですが。こうも易々と突破されてしまうとは思いませんでした」
「確かに早すぎる。空花州の軍からの報告はどうなっている?」
 穹天が唸る。
「玉衝軍は少人数の軍隊を三手に分けて侵攻してきたそうです。しかし妙なのは、それらの対処をしているうちに、いつの間にか敵軍隊が増えていた、と」
「増えた? 伏兵か?」
「かもしれません。様子を見ながら援軍を出していくしかないですね」
 ふたりの会話はひどく非現実的に聞こえた。突破された、と海神は言ったが、それはつまり敵味方問わず軍人たちが負傷、あるいは亡くなっているということである。平和な国で育ったレイにはとても想像できない。だが、それが現実だ。
「ただ、今までの玉衝軍の攻め方と違うのが気にかかりますが」
「ああ、伏兵なんて手は使ってきたことがないな。まぁ、王が代わったのだから戦闘法が変わってもおかしくはないが……」
「あれ、玉衝も王様が代わったの? そういえば、玉衝の王様ってどんな人?」
 ふと思い至って訊ねてみる。この天権国を乗っ取ろうとする悪の根源は一体どんな人なのだろうか。
「玉衝王、名前は破乱はらんですね。玉衝は五年前に新王が立ったのです。前王が死んだのか、王が権利を譲ったのか、定かではありませんが、破乱は前王夫婦の息子らしいです」
 前王の息子。そういえば、城下町で会ったおばさんが、玉衝の前王は暗黒の帝王と呼ばれていたと言っていた。
「前王と同じく、息子である破乱も暴政を行っているそうです。そのせいで多くの国民からは反感を買っているようですが。ただ、玉衝の民は血の気が多いですから、領土を広げようとする姿勢を支持する人はいるみたいです」
 こっちは迷惑ですけど、と海神は付け足す。
 聞いた限り、破乱はかなりの暴君のようだ。そんな恐ろしい王に新米である自分が太刀打ちできるのだろうか。
 と、廊下の方からばたばたという足音が聞こえ、扉の前で止まったかと思うと、勢いよく扉が開く。
「護使!」
 入ってきたのは、重そうな鎧を着込んだ灰色の竜人兵だった。
楼月ろうげつ、どうしました?」
「報告で……」
 楼月と呼ばれた竜人は部屋内の王使獣たちを見、それからレイを見て目を丸くし、いきなりその場に平伏する。
「まさか若君がいらっしゃるとは思いもせず。御無礼お許し下さい!」
「わわっ、そんな気遣わないで。それにしても若君って……俺?」 
 予想外の呼ばれ方。しかし、明らかに自分より年上で、しかも屈強な竜人に頭を下げられるなんて。逆にこっちがひれ伏したいくらいだ。
「それより、楼月、報告とはなんです」
「はっ、桂露けいろ州に敵軍が数十騎飛来、苦戦している模様で、直ちに援軍をとのことです」
「敵軍が、もう、桂露に?」
 海神が信じられないというようにつぶやく。他の王使獣たちも同様だったようで、驚いたように楼月を凝視した。
 桂露州がどこかわからなかったのでこっそり地図を見て確認してみる。桂露州は空花州の少し上、もうふたつ州を越えられてしまえば王都山護はほど近い。
「……わかりました、直ちに援軍を送りましょう。各指揮官にこのことを伝えなさい」
「承知しました」
 竜人楼月はきっちりと回れ右をし、足早に出ていく。扉が閉まってもしばらくその場は無言のままだった。
「……信じられんな。たった数十騎でこれか。こちらだって強力な軍隊を相当数出しているはずだ」
「一騎当千のつわものでも率いてきたか? 手を打たないとすぐに王都に攻め入られてしまうぞ」
 穹天の言葉に同意するようにずっと傍観していた燈翼が低く言う。
「わかっています。山護の方は双幻が固めてくれていますが、一気に攻め入られて防戦一方になるのも厳しい。こうなったら私か穹天が出て行った方がいいかもしれません」
 海神が?
 レイが目を丸くしたのを見て、セツが苦笑した。
「海神はこれでも“天権の白槍”って言われるくらい強いんだぜ。まぁ普段の姿からじゃ想像できないけどね」
「そ、そうなんだ……」
 天権の白槍とはんとも大仰な肩書きだ。しかし、セツの確信に満ちた語調からすると、本当に肩書きが通ずるほどの実力はあるのだろう。……にわかには信じられないけれど。
「俺か、王護使か。そうだな」
 少し考えていた様子の穹天が海神の言葉にうなずく。
「確かに玉衝軍の攻め方は妙だ。実際にこの目で確かめて来た方が対策はとれる」
「そうですね。……ならば、私が出ましょう。飛んだ方が速いですし、双幻との連携もとりやすい。いかがです?」
 確認するように海神が周囲に目を向け、王使獣たちとセツもうなずいて同意する。
 レイはもちろんうなずけなかった。いくら強いからといって、海神が戦地に赴くのには同意できない。玉衝の軍だって強いのだ。怪我をしないとも、最悪、戦死しないとも言い切れない。
 しかし、みんなが同意したということは、それが国にとって最善だということだ。
 国は、護りたい。でも、海神を行かせるのは、嫌だ。我ながらひどく身勝手だと思う。
 そんな様子を見てか、海神がレイの傍に歩み寄り、首を下げて目線を合わせる。顔を上げると優しげな紅玉の瞳があった。
「レイ様、心配してくれているのですか? 大丈夫です。これでも戦いには慣れていますから。それに……」
 言葉を切り、海神は微笑む。
「新王様の戴冠式を見るまでは、ぜったい、死にませんよ」
 自信と余裕のある笑み。
 思わずその笑みを信じてしまう。
 嫌だった。だけど、ここで止めたって海神は行くだろう。そういう瞳だ。行って……そして、自慢げに帰って来る、と。
 レイはうなずいた。
「……絶対だよ」
「もちろんです。……では、行ってきますね。セツ、穹天。あとは頼みます」
「了解」
「わかった」
 ふたりの返事を聞いて海神はうなずき、それから確かな足取りで部屋を出て行く。その後ろ姿が扉の向こうに消えるのを見て、レイは心がざわめくのを感じた。必死にそれを振り払う。
 さすがに戦いを何度も経験している王使獣やセツは表情を崩していない。彼らなりの心持ちはあるのかもしれないが。
「さて、これからどうしたもんかな。海神が行ったとなると、玉衝も王使獣出してくる可能性があるし」
「王使獣……」
 セツの言葉で思い出す。すっかり思考の内になかったが、当然、玉衝王もレイと同じく王使獣を持っているのだ。それも、レイはまだ穹天としか契約していないが、玉衝王の方はおそらくすべて契約済み。
「前王の王使獣を継いでてくれれば多少対策が打てるんだけど。新しい王使獣と契約していた場合は厄介かもね。向こうはこちらに穹天がいることを知ってるわけだし、先手を打たれてるかも」
 セツの言葉に、穹天がはたと思い至ったように首を上げる。
「……そういえば、玉衝の王護使が新王、レイ様の顔を知っていたのが気になるな」
 玉衝の王護使、レイを殺そうとした青い髪の女性だ。はっきりと覚えている。
「うーん……レイ、どっかであの女の人に会ったことあった?」
「ないよ」
「だよな。だとすると、あまり考えたくはないんだけど、間諜か……裏切り者か」
 絞り出すような声だった。裏切り者という言葉に反応して琉希と燈翼がセツを見る。視線を受けてセツは自嘲気味に苦笑した。
「間諜ってのはつまりスパイってことね。今までそれらしい気配は感じなかったけど……穹天はどう?」
「俺も怪しい影は見ていない。見知らぬ顔の兵がいれば気付く。裏切りは……ないと思うがな」
 言って、穹天が燈翼と琉希を睨む。
 穹天の気持ちはよくわかる。傍から見ていてもいやなやり取りだ。過去に何があったのかはわからないが、仲間内でお互い疑いあっていというのはとても悲しいことだと思う。
「私たちが力を合わせねば玉衝には太刀打ちできませんよ、その態度はおやめなさい」
 蛇句がよく通る声で燈翼たちをたしなめた。燈翼と琉希は視線をそらす。
「とにかく、護りは厳重に固めておくべきだ。この後状況がどう変化するかはわからないが、不可解なことが多いからな」
「危なくなってきたら揺光に援軍を頼んだ方がいいな。まぁ、今も結構危ない状態だけど。そのときは事車、よろしくね」
「任せて下さい!」 
 セツの言葉に事車がぴょんぴょんはねる。
 と、そのとき、扉が控えめに叩かれる音がした。
「ご報告に上がりました」
 扉の外からはっきりとした声。また何か報告だろうか。
「入れ」
 穹天の言葉に、失礼しますと、一人の兵士が入ってくる。灰色の竜人楼月かと思ったが、普通の男性兵士だった。
「何事だ?」
「それが……」
 ちらりと兵士が視線をレイに向ける。ぞっと悪寒が走った。この嫌な予感は何だ。まさか、海神に何かあったとか……。
「武器を王に渡しておくようにと命じられまして」
「武器?」
 兵士が三十センチほどの短刀を懐から出す。柄には煌びやかな模様が見てとれた。
「誰からだ?」
「元帥にです。護身用にと」
「双幻が?」
 どこか釈然としないようで、穹天は首をかしげる。
 兵士がレイの前に歩み寄った。刀を差し出す。
「さぁ、どうぞ」
「ああ、ありがと……」
 刀に手を伸ばしかけた瞬間、目の前の兵士の手が消えた。同時に刃物を滑らす音が響き、のどもとに細く、冷たい感覚。
 戦慄が走る。身動きひとつ、できなかった。
「貴様!」
 穹天の怒声が響く。
 レイは兵士に刃を突き付けられていた。
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