竜の軌跡

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  --6--  

 それから城内は水の入ったバケツをひっくり返したような騒ぎになった。
 玉衝は本格的に天権を攻め落とす気だ、しかし新王が王使獣と契約していない今の天権には勝ち目がない――。そういった言葉が端々から聞こえるようでレイは耳が痛かった。
 そんな中、海神と双幻は的確に指示を出していく。特に海神は普段のおっとりした性格を覆すような変わりようだ。
「早急に軍を集めなさい。山護を徹底的に固めるのです」
「了解した」
 足早に部屋を出ていく双幻を見て海神はふうとひとつ息をついた。だがその眼は緊張感を孕んだままだ。
「やれやれ、思ったより早かったですね。玉衝め、新王が王使獣を従える前につぶそうというのか」
「かもしれん」
 穹天きゅうてんがそれに答え、それからレイの方を見て目をまるくする。
「レ、レイ様、大丈夫ですか!?」
相当ひどい顔をしていたのだろう。穹天らしからぬ、子供をあやすような声だ。
「俺は……大丈夫だよ」
 とは言ったが、正直、息がつまりそうだった。襲撃というリアルな出来事が死への恐怖を呼び起こし、さらに自分が王で、この国のため何ひとつ役に立てていないというのが辛い。それが重石になる。
「レイ様、襲撃を受けている空花州には双幻お墨付きの軍備があります。それに、首都山護は名の通り天然の要塞。強固な山岳に覆われていますから、簡単には攻め入られません」
 だから、そんなに心配することはないのです。海神が優しく諭してくれるが、その優しさがレイには申し訳なかった。
 自分が王使獣と契約できれば、国の守りはきっと強固になるのに。
 王使獣は国のため天権には残ってくれたが、自らが認めない王とは契約を交わす気はないようだった。
 当然のことだとレイは思う。契約をするということは、自らの命を相手に預けるも同様。もし自分が王使獣であったとしたら、戦争に怯えたり、自分勝手な行動をするような王に自らの命を預けることはしないだろうから。
「そーそー。オレもいるしな。頼っちゃっていいよ、レイ!」
 うつむくレイの上から明るいセツの声が降ってくる。
「セツ、あまりふざけないでくださいね。この襲撃……以前玉衝の王護使に襲われた経験のあるレイ様には酷なことでしょうから」
 海神がぴしゃりと言い放つが、セツはそれを気にも留めていないようだった。
「だからって暗い雰囲気保っとくことはないだろ。よけい気が滅入っちゃうぜ」
「それもそうですが……」
 海神が言いかけたところに竜人の兵士が飛び込んでくる。
「王護使様! 空花州の方から伝令が!」
「あぁ、今行きます! とにかく、セツはレイ様をしっかりお守りしてくださいね」
「ハイハイ」
 海神はバタバタと部屋を飛び去った。広い王室に残されたのはレイとセツ、それから王使獣たちだ。
「……いやぁ、久々に騒がしいね」
「久々、とは? セツ、私たちもあなたを信用しているのではないということ、わかっていますね?」
 セツのつぶやきに対し王使獣の一匹、琉希が静かに言う。
 あれ、セツは双幻だけでなく王使獣たちにまで嫌われているのか?
「別に他意はない。気に障ったかい? なら謝るよ琉希サン」
 セツの方はというといつも通り飄々とした答え。
「気に障った、ですって? もちろん障りましたよ、この裏切り者が」
「琉希、不毛な争いはやめないか。内輪揉めなどしている場合ではないだろう」
 見かねた穹天が止めに入る。
 セツが裏切り者。双幻も言っていた。――こいつがどうしてこの国に来たか知らないわけではないだろう――、と。
 セツと双幻、使獣たちの間に一体何があったのか。思い切って訊ねてみようか……そう思い、顔を上げたレイは思わず口をつぐむ。
 セツの目が、雰囲気が、とても痛そうに歪んでいたから。でも、それはほんの一瞬だった。
「……まあ、そういうことで。とりあえず今後の行動の相談でもしておきますかね? レイさん」
 次の瞬間にはレイににっこり微笑んでくる。さっきの表情がまるで嘘のようだ。
「え、あ、そうだね。俺はあんまりこういうこと、慣れてないから何も提案できないと思うけど」
「そんなもんさ。戦争なんていつ何が起きるかわかったもんじゃなし。とりあえず王使獣たちの動きでも考えようか」
「あ、ボク、揺光りょうこうへの支援要請をするよう海神さんに頼まれているのです」
 事車がふわふわと翼をはためかせた。
「なるほど。まあ要請するのはこの山護を攻められたときだろうな。揺光国とは友好条約を結んではいるがそうそう頼りにするものではない」
 穹天は言ってレイの方を向く。
「正直、この戦いに勝てるか負けるかは我々が王と契約するかしないかにかかっているといっても過言ではないのです」
 レイは小さくうなずき、視線を足元に落とした。
「わかってるよ。俺がこんなせいで王使獣たちにも認めてもらえなくて……国が危ないかもしれないんだよね」
 わかってる。すべて自分が弱いから、海神にも双幻たちにも、国民にも大変な思いをさせてしまっている。
「確かに、あなたを見極める時間はもう少し欲しかったところではあります。しかし、状況が状況。私は契約を申し出たい」
 穹天がはっきりと言い切った。レイは顔を上げる。
「え……?」
「私はあなたの本質をまだ、見ていない。けれど信じています」
 穹天はこの国を守るために、主として認めていないレイと契約すると言ってくれているのだ。今の国にとってはとてもありがたい言葉。
 でも、そんなのって。
「だ、駄目だよ!」
 穹天は長い尻尾をしならせる。
「私を気遣いますか、新王。心配は無用です。私は後悔していませんから」
「たしかに王使獣と契約しなきゃ国は守れないかもしれない。でも、そういうのは駄目だと思うんだ……。厚意は嬉しいけど、それじゃ俺が……納得できない」
 また自分勝手なことを言っているとレイは思った。王として国を治める立場ならば、この穹天の厚意はありがたく受け取っておくべきだろう。
「では、どうすると」
 ぱたん。穹天の尾がカーペットを叩く。
「俺は、急にこっちの国に連れてこられたなんも知らない子供だよ。政治も、戦争も、王としてどうあるべきかもわからない。戦いとか、死ぬとか、めちゃくちゃ恐い。自分自身でも、俺ほどに王にふさわしくない人間はいないと思ってる」
 言いだして、本当に情けなくなってきた。俺はどうしたいんだろう。
「でも、城を飛び出して、この国に暮らす人を見た。話をして、俺と同じく、今の状況に不安を抱えてるんだってわかったよ。安心して暮らしたいだけだって」
 てのひらに汗がにじむ。指先をぎゅっと握りこんだ。
「でも、俺と考え方がひとつだけ違ってたんだ。俺は、“もし新王がなにも知らない子供だったらどうしますか”って訊ねた。そしたら、その人、あろうことかその新王の子供を心配するって言うんだよ。国じゃなくて、俺を。王様のが、辛いだろうって」
 ――そんな王様が頑張ってくれる国ならきっといい国になるだろうよ。
 そんなことはないんだ。おばさん、ごめんなさい。
「俺、それで、この国の人たちは守りたいと思った。たとえ本音で言ってたんじゃないとしても、俺には……すごくうれしかったから。俺は王になるべくしてなったわけじゃないけど、でも今確かに王という地位についてる。だから、王であるかぎり、できることは、したい」
 レイは立ち上がり、それから床に膝と手をつく。周囲の雰囲気が色めき立ったのがわかった。
「だから……どうか俺に力を貸して下さい」
 必死だった。こんなの説得にもお願いにもなってない。ただの自己満足。
「ばっ、レイ、こら!」
「何をなさるか!」
「顔を上げて下さい!」
 同時に三つの声が重なって、ぐいと上に引っぱり上げられた。
「やりすぎだって! 王様が膝をつくとか、ダメ!」
「臣下に見られでもしたら大変な騒ぎになりますわ」
 セツと大蛇の王使獣、蛇句だ。
「まったく……節操のない。その程度の説得が通じると思ってるんですか?」
「私らも甘く見られたものだな」
 こちらは琉希と燈翼。
 わかってはいたが、軽く一蹴されてしまった。自分の力不足が情けなくてレイはうつむく。
「いや、度肝を抜かれましたよ……レイ様」
 妙に冷静な声は穹天だ。
「ごめんなさい。でも、どうしても軽々しく契約なんてしたくなかったんだ。だからといって俺にできることもない。最低な王だな、俺」
「そんなことはありません」
 穹天がレイに歩み寄る。
「あなたの言葉が私を動かしたのです、レイ様。ちゃんと王のすべきこと、わかってらっしゃるではないですか」
「な、穹天、あなた」
 琉希が驚きの声をもらす。穹天は低く笑った。
「レイ様、あなたに私と契約する意思はおありか?」
「……ある」
「私も同じ。さあ、王印のある方の手を私の頭上に」
 穹天は頭をレイの前に下げる。言われたとおり手を上げかけ、レイはぴたりと動作を止めた。
「え、ちょっと待って、これって……」
「そう、契約の儀です。自分の名と私の名を挙げ、契約すると宣言してください」
「でも、俺、穹天の意思が……」
「言ったでしょう、本当に、私を動かしたのはあなた。軽々しいとお思いにならないでくださいよ? 私が買うのは王の意思。偽りないその言葉、確かに受け取りました」
 レイがとまどっていると、後ろの方からから笑い声。
「穹天の言ってることはホント。決して国のため仕方なく……とかじゃない。穹天は認めたヤツ以外には自ら頭を下げないんだからな」
 穹天は眼を細めて笑う。
「それに、レイ様にばかり頭を下げさせてもいけませんしね」
 レイは穹天を見た。首筋の青い斑紋が煌めく。その先の赤い瞳に揺らぎはなかった。
 王印の刻まれた手を穹天の頭上へ持ち上げる。
 いいのだろうか。穹天を信頼していないわけじゃない。命を預かる契約、それをこんな俺が交わしていいのだろうか。――穹天の期待に応えられるだろうか。
 自問自答に答えは出ない。これからの自分に全てがかかっている。
「……俺、みずもりレイは……穹天と、契約する」
 言い終えた途端、手の甲の王印が淡く光り出した。それに呼応するように穹天の額の一点も輝き出す。
 一瞬電流のようなものがてのひらを突き抜け、痛みが走った。感覚は王玉に触れたときに似ている。
 反射的に閉じていた目を開くと、穹天の額にはレイの手の甲に刻まれた印と同じものがはっきりと浮き出ていた。
「契約完了だな」
 ぼけーっとしているレイに、セツが声をかけてくる。
「完了ですね。どうぞ宜しく、我が主レイ様」
「こ、こちらこそ宜しく、穹天」
「まったく、軽はずみに契約など。後悔してもあとのまつりですぞ、穹天殿」
「勝手に言うがいい、燈翼。お前こそその態度、いつまで持つか見物だな」
 楽しそうに穹天は鼻を鳴らした。燈翼は嫌そうに眼を細めて返す。
「これで、契約したってことは……穹天は俺の気? ……王の力だっけ? を食べるってこと?」
 すっかり忘れていたが、そんな話があった気がする。契約した王使獣は主の側にいるだけで王の力を吸収する。常に置いておくことはできないと。
「まぁ、そういうことになりますね。私ひとりならまだレイ様は平気だとは思いますが、辛かったら円に戻して下さいね。その代わり出るときは頑張って力になりますよ。召喚の仕方は……ああ、習ってますよね」
 円……使獣が行き来できる空間に戻すというのは円に触れて「戻れ」と言えばいいだけだと海神に聞いた。呼び出しは、同じく円に触れて名前を呼ぶ。呼び出すときは力を使うというから、これもしっかり覚えておかねばならない。
「うん、なんとか大丈夫そう」
 頭の中で復習しつつうなずく。
「しっかし、これからの行動の相談のはずが王使獣契約までいくとはね! オレもびっくりだぜ」
 セツはぽんぽんとレイの肩をたたいてにっこり笑った。辛い中で、セツのこの笑顔はほっとさせてくれる。
「俺自身も驚いてるよ。……これで、少しは国を守る助けになってくれればいいけど。穹天、もし戦いになったら……申し訳ないけどお願いできるかな?」
「契約したのですから、私はレイ様の言葉には絶対服従ですよ。お願いではなく命令じゃないと絶対服従の効き目はありませんが」
「ううん、俺あんまり命令は使いたくないから。お願いじゃ聞いてくれない?」
 穹天はふと何かを思い出したように首をかしげ、それから嬉しそうに笑った。
「ふふ、そんなことはないですよ。お願いのままに、動きましょう」
「戦いになったら私も微力ながら手助けさせていただきますね。今レイ様と契約しても負担になるばかりでしょうし」
 蛇句が柔らかな声で告げる。
「ボクも、精一杯手伝うよ!」
「ありがとう、蛇句、事車。すっごくうれしいよ」
 心からの言葉だった。こんなにふがいない王なのに、こんなに味方になってくれる存在がいる。
「オレもオレも! 便乗させて!」
「まったくセツは……俺より年上っぽいんだからもっと大人びた態度でいてほしいかなぁ」
「あは、たしかに! でもオレだってやるときゃやるんだぜ!」
 セツはレイを命の危機から救ってくれた。たとえ彼が周囲からどう思われていようと、最終的に判断するのは自分だと思う。
「うん、知ってるよ」
 少しだけ、希望が見えてきた気がした。
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