竜の軌跡

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  --3--  

「おー……鳥」
 レイは窓から外を眺めていた。
 大きく張り出された透明な窓から見えるのは、さわやかな青空と、巨大な鳥の群れ。鳥は歌みたいな鳴き声を風になびかせながら空を舞っていた。このメロディーは朝聞いた音色だ。
 ぼんやり日差しを浴びながら鳥の歌を聴いていると、海神がバタバタと部屋に戻ってきた。
「ゲンスイさんに会ってきたの?」
「はい。この後のことを相談したのですが、まずは王使獣を呼び出しておかなければ、という話になりまして。早急で申し訳ないのですが」
 レイが王になって得る一番の利益がこの王使獣だ。これを操れないと話にならない。
「うん、俺はどうすればいい?」
「ええと、まずはあれがないといけませんね。何か……」
 海神はキョロキョロとあたりを見回し、レイの手首に目を留めた。
「レイ様のその腕輪がちょうど良いですね。王使獣を呼び出すには空間を繋ぐ円陣が必要です。円であれば何でもかまわないのですが、ある程度正確な円でないといけません」
 腕にしているのは祖母にもらった銀の腕輪だ。小さいころ誕生日にもらって、それからずっと着けている。レイはそれを腕から外した。
「これをどうするの?」
「それを持って前に掲げて下さい。実際は円に触れるだけでも呼べるのですが、今はこの形が良いでしょう。そして、来い、という気持ちをこめて王使獣の名を呼んであげるんです」
 レイは銀の輪を持って前に掲げる。
「こんな感じ? で、その王使獣の名前は?」
 海神は、えへんと咳払いをして、言う。
「キュウテン、リュウキ、ジャク、ヒヨク、ジシャ、です」
「五匹もいるの?」
「そうです。王使獣は一国に三匹から五匹くらいが普通ですね。王の力次第でもありますが」
「なるほど、キュウテン、リュウキ、ジャク、ヒヨク、ジシャだね」
 もう一度名前を確認し、心の中で来い、と願う。
「キュウテン……リュウキ、ジャク、ヒヨク、ジシャ」
 銀の輪の中心が揺らぐ。瞬間、何かが飛び出した。
 うわわ、とレイがよろめく間に、数個の色のかたまりが尾を引いて次々にレイの前に降り立つ。さらに、まばたきひとつの間に、それはそれぞれ違う獣の姿を成した。すごく大きいものから、とても小さいもの。
 色とりどりの獣達は、レイの目の前にきちんと整列して座る。姿は、角の生えた獣から蛇のようなものまで様々だ。
「これが……王使獣?」
 冷汗のにじんだ額をぬぐい、訊ねる。驚きからなのか何故か妙に疲れてしまった。
「そうですよ」
 海神が懐かしむように、王使獣達を見る。当の使獣達はというと、ほとんどがレイに視線を向けている。感情は読み取れない。
「キュウテン、ここに」
 海神が、王使獣の一匹を側に呼ぶ。キュウテンと呼ばれた王使獣は、一見すればちょっと大い黒いヒョウの姿だが、全身のヒョウ特有の斑紋は青く輝き、金属光沢を持っている。その目は赤く、海神の明るい紅玉ルビーの目よりは、深い赤の柘榴石ガーネットを思わせた。
穹天きゅうてんは、清風様の王使獣の筆頭です。レイ様の護衛の筆頭でもありますので、仲良くしてくださいね」
 海神がにこやかに説明する。
「えと、は、はじめまして。レイと言います」
 レイがびくびくと自己紹介すると、今まで表情を全く見せなかった穹天の目が和んだ。
「あぁ、確かに、似ている」
 腹に響く低い声が聞こえた。どうやら、王使獣、穹天が言ったらしい。今更、獣が喋っても驚かない。慣れって本当に恐ろしいと、内心苦笑しつつ、レイは訊き返してみた。
「え、と、誰にですか?」
「我が主……清風に」
「清風様って、男の人?」
 さらに訊ねると、穹天は目を細めた。
「いえ、女性ですよ。雰囲気がよく似ていると本人が言っていたもので」
 雰囲気が似てる? こっちの世界に来たことはないのに清風様は自分のことを知っていたのだろうか。
「でも、チカラの方向性は違うようですね」
 子供みたいな声がしてレイは小さな王使獣に目を向ける。その王使獣は穹天に比べるととても小さい。その小さな体よりも大きめの翼が二対ついていて……姿は白い毛に覆われたツチノコ、とでも言ったらいいだろうか。頭には二本の細い触覚。
「彼が、事車じしゃ。伝達役に持って来いの王使獣ですよ」
 海神が誇らしげに説明する。
「レイ様、ここでひとつ注意点が。普段、王使獣を呼び出すときは二匹まで、と覚えておいてくださいね」
「二匹だけ? どうして?」
「王使獣は、呼び出すのに力を使うんです。無理してたくさん呼び出すと疲労で倒れてしまいますので注意ですよ」
 そんな制約があったのか。どうりで疲れるわけだ。国の守護獣を呼ぶということは、そういうリスクも伴うのだろう。
「じゃあ戻し方は?」
「先ほどのように円に触れ、戻れ、と命じれば良いですよ」
 さっそく試してみようとレイは銀の腕輪を持ち直す。と、海神がそれを止めた。
「でも、レイ様はまだ王使獣達と契約をしていませんから、レイ様の命令に応じるか……とくに燈翼ひよくはなかなか難物でして」
 言って目線を向けた先は、紫色の鱗を持つ飛竜に似た姿の王使獣。ヒヨクと呼ばれたその王使獣はぷいと視線を逸らす。
 ――力ある王使族を探し、さらにそれを主と認めさせ、契約し、やっと王使獣として従わせることができます――。
 そうだ、海神は王使獣と契約しなければならないと言っていた。
「王になっただけじゃ駄目なんだっけ……契約ってどうするの?」
「単純に、王使獣に自分を主と認めさせれば良いのです、が、これがなかなか難しいのですよ」
 海神は王使獣達を見る。途端に、興味深げにレイを見ていた王使獣達は居所が悪そうに視線をさ迷わせた。
「認めさせるって、どうやって……。だいたい契約ってことはなんらかの条件みたいなのがあるんだろ? タダで従ってくれるってことはないだろうし」
「そのとおりです」
 穹天が低く笑う。
「仰るとおり、契約は互いの合意が必要です。我々使獣は、呼び出されている間だけ王の力を少しもらう。代わりに、王の命には絶対服従する」
 事車がその言葉に続けた。
「王様の命令には絶対服従。これは本当に絶対逆らえないのです。たとえば、この国を滅ぼせと命ぜられたとする。ぼくたちは逆らえません。契約の力がそうさせてしまうから」
 つまり、契約したら、王の命令には嫌でも従ってしまうということらしい。確かにこれは王使獣たちにとっては重大な契約になる。死ねと命じられたら死ななければならなくなるのだから。
「……そうすると、軽々しく認めてくれなんて言えないな。俺はどうすればいい?」
 穹天はまた笑った。
「契約しなければ我々が力を得られないのも事実です。力がなければこの国が救えない。我々がこの国に残ったのはこの国を救いたかったから。……まぁ、契約には少し様子を見させて頂きますよ。あなたは非常に興味深いのでね」
 事車もうなずく。
「ぼくも、あなたに力があるのを感じます」
 他の王使獣は……というと、ほとんど無感情な表情のままだ。だが、とりあえず穹天と事車の二匹には好印象なだけ良かった。レイはうなずく。
「わかった。海神、まだ契約はできないけど……これで良いの?」
「はい。王使獣を呼び出し、二匹にここまで認めてもらえれば充分ですよ。戦いになる前に契約はして頂きたいですが、そこは王使獣の意思ですからね。大丈夫、私はレイ様を信じていますよ!」
 言って、海神はにっこり微笑んだ。信じるだなんて、根拠もないくせに。でも、信じてもらえることが素直に嬉しかった。
「海神様、準備が整いました」
 背後で声。振り向くと、兵と思わしき鎧を着た竜人が部屋の出口に立っていた。
「ああ、今行きます」
 竜兵に答えてから、海神はレイにささやく。目にいたずらっぽい光をたたえて。
「こんなときになんですが。ひっそりと、城内だけで昼食と称して宴と参りましょう」
 いよいよ王としてこの国の人たちに姿を見せることになると思うと緊張する。宴とはつまり、王就任の祝いの席。しかし、国の状況が状況なので、あまり大騒ぎはできないですが、と海神が残念そうにつぶやいていた。城内だけのほんのささやかな催しなのだろう。
 食堂に通される前に、レイは、豪華絢爛な着物に服に着替えさせられた。薄紫の色合いは、一番位が高い証だそう。着物いうとシンプルそうなイメージだが、ボタンなど所々宝石やら金やらがついていて、ゴージャスなことこの上ない。
  歩きづらいこの格好で、海神に連れられてやってきたのは、大きな、それはもう大きな広間だった。シャンデリアは当たり前、ピカピカの大理石の床に、高価そうなつやのある木で出来た大きな机と椅子。シルクのテーブルクロスに、その上に所狭しと置かれた豪勢な料理の数々。そして、忙しそうに動き回っている白衣の料理人さん達。
「これが昼食?」
「そうだ」
 思わず呟いたレイの言葉に答えたのは、海神ではなかった。部屋に残った王使獣のうち、レイに付いて来たいと申し出た二匹の王使獣でもない。
 振り向くと、そこにいたのは軍服を身にまとった女性だった。雰囲気自体に恐ろしいほどの威厳があり、華奢な体つきと長い髪がなければ男性と間違えてしまいそうだ。
 彼女の金色の瞳が、レイと、レイの手の甲の王印を確認するように見る。
 レイはといえば、彼女の眩しいほど紅く美しい髪に自然と目がいった。一体どんなシャンプーを使ったらそんな髪になるのだろうか。
「お前がレイか」
「そそそうです」
 突然の、しかもドスが効いた声にびっくりして、口がすべった。見た感じ二十代後半くらいに見えるのに、その声と態度は女性とは到底思えないほど堂々としていて、なんだか逆らってはいけないような雰囲気がある。
双幻そうげん
 レイの隣に控えていた穹天が声を上げた。どうやら知り合いらしい。
「穹天、久しぶりだな」
「ああ」
 双幻と呼ばれた女性と、穹天が親しげに言葉を交わす。レイがちらりと彼の腰に目をやると、そこにはこれまた重そうな剣。こちらの世界では女性の軍人も珍しくはないのかもしれない。
「ああ、双幻、来ていたのですね」
 海神がパタパタとやって来る。
「レイ様、この方が双幻元師げんすいです。この国の軍事をつかさどっているのですよ」
「あ、初めまして。準レイです」
 ぺこりと頭を下げ、相手の顔を見る。彼女の眉が厳しくひそめられた。
「まだ子供ではないか。この非常事態に、このような王で務まるのか?」
 途端に海神が食って掛かる。
「危険とはなんです! レイ様はこの国の王、希望なのですよ!」
「だから危険だというんだ」
 海神が熱っぽく言い返し、双幻が軽く往なす。レイはぽかんとその様子を見ていた。自分の事で言い争いをしているのだろうか。
「レイ様、放っておいて。行きましょう。これはいつものことなので」
 穹天に促され、言い争う二人の言葉を気にしないようにしながら王専用らしき真ん中の大きな机の席に着く。
 全ての人が、自分を王として認めてくれるわけがないとわかっていたはずなのに。
「やっぱり、俺、王やっていけるのかなぁ」
「何を仰ります。自信を持って下さいよ。王なんて自信があれば務まるようなものです」
 妙に楽しそうな声で、机の下に寝そべった穹天が慰めてくれる。テーブルクロスの上に置いた手に、何かふわふわしたものが当たった。王使獣の一匹、事車だ。
「レイさまは王として相応しいチカラを持っています。ぼくにはわかります」
「ちから?」
「ぼくには、ちからを感じ取る能力があるんです」
「それってなんの力……」
 言いかけていたところに、ドラの音が鳴り響く。周りのざわめきが一瞬にして静まった。
 席に着いた大勢の視線がレイに集中する。慌ててレイはうつむいた。
「この度、新王が御就きになることになりました」
 すぐ近くで海神の大きな声。見ると、海神が真正面の席に立っていた。どうやら、司会を務めているらしい。
 海神がレイを大声で紹介する。広間中から拍手と歓声が響き渡った。人前に出るのに慣れていないレイは、顔から火が出そうだった。
「ではでは、天権国の栄光と繁栄を願って、私が挨拶を務めさせて頂きます」
 海神が挨拶に入ると、広間の人々ががっくり肩を落としたのが見えた。ひっそり聞こえたのが、「護使の話、長いんだよなー」という声。そして始まった挨拶は、その声の通り学校の校長、いやそれ以上に続くことになる。
 海神が長い挨拶を垂れている最中に、人目を惹かないように陰からレイの方に近づいて来る人が二人。王席に近い席に着けるということは、位の高い人なのだろう。一人は赤髪長髪の女性軍人、双幻だ。もう一人は……。
「キミが王様?」
 レイの右手の王印を見、小声で訊いてきたのは、レイよりいくつか年上に見える青年だった。目を惹くのはその髪。双幻の紅髪にも、広間に集まった人達の色とりどりの髪にも打ち消されない、絶対的な色。――白だ。
「そう……みたい。あんまり実感ないけど」
 歳が近く見え、少し安心する。少なくとも双幻と話すよりはビクビクしないで済みそうだ。白髪の青年は、ナイルブルーの瞳を細めてにっこり笑った。その目はネコのように瞳孔が細い。
「名前は?」
「準……レイ」
 少年は優雅な動作でレイの隣の席に着く。双幻はそこからひとつ離れた海神の隣の席に着いていた。一瞬この青年の方を睨んだように見えたのは気のせいだろうか?
「君の名前は? まさか、君も軍人さん?」
 腰の剣に目をやりながら訊ねると、彼は軽くうなずいた。
「うん、一応軍人ってことになるのかなぁ。オレは、雪雅せつが。セツってよく呼ばれるから、そう呼んでくれればいいよ」
 そう言って手を差し出してくる。なんだかとっても明るい。双幻とはまるで正反対だ。
「あ、ああ、セツ、宜しく」
 手を握ってぎこちなく笑って返すと、セツはチラリと双幻を見、にやりと笑った。
「それにしても双幻様相変わらずグラマーだよねぇ!」
「え? え、あぁ、うん……?」
「だよね! いやぁ、レイとは話が合いそうだ!」
「はぁ……」
 こういうことを言ってるから双幻に睨まれたのだろうか。しかしこの青年は誰なのだろう。レイが内心首をかしげていると、穹天がくすっと鼻を鳴らした。
「彼はレイ様の護衛となる人物ですから、仲良くしてくださいね」
「えぇっ?」
 思わず声を上げてしまい、長い長い挨拶中の海神が声を止める。
 しかし、挨拶が止まってに会場がホッと息をついたのもつかの間、海神は咳払いをしてまた挨拶を再開したのだった。
 結局、海神の長ったらしい挨拶が終わったのはそれから一時間後で、無論、そのころには机上の料理は皆冷めてしまっていた。親切な白衣の料理人が、温め直しますか? と訊きに来てくれたがお礼を言って断った。朝方海神が持ってきてくれた朝食を食べそこなったため、お腹が空いて待っていられなかったからだ。
 料理は冷たくても天下一品で、日本のものと良く似たものばかりだった。ご飯、麺類など、味までもほとんど同じ。この国・世界特有の料理と言えば、紫色の肉くらいだろう。奇妙な色合いとは裏原.に、味は普通の牛肉と変わらなかった。
 司会の仕事が終わり、戻ってきた海神がはレイとセツが並んで座っているのを見て微笑んだ。
「あ、もう仲良くなられたんですか。セツは、王護官長の位を持ってます。王直属の護衛ですよ」
「王護官長っていってもたいしたことないけどね」
 肉を頬張りながらセツが言う。それを聞いて、黙っていた双幻が口を開いた。
「王護使、雪雅に王の護衛を任せるのはどうかと思うのだが」
 最初、「セツが護衛になるにはまだ幼い」というような意味だと思ったレイだが、その場の空気が変わったのを見て、そうではないことを知る。
「……双幻、あなた、まだセツのことを疑っているのですか」
「当たり前だ。こいつがどうしてこの国に来たか知らないわけではないだろう」
 海神と双幻が睨み合う。双幻がセツを嫌っているのは彼が女好きだからというだけではなさそうだ。当の本人、セツは黙って食事を続けていた。こんな状況は慣れっこといった感じ。
 セツがこの国に来た、ということは、セツはこの天権の生まれではないのだろうか。一体何があったというのだろう。気になったが、とても訊ける雰囲気ではない。
「この緊急時に仲間を信頼しないでどうしますか。せっかくレイ様が王としてお着きになって下さったのに、国の上部がこんな状態じゃとても玉衝に太刀打ちできませんよ!」
「こんな子供の王に何を期待するのだ。私は自分の力でこの国を護る。まぁ、万一、一匹でも王使獣と契約できたら役に立つかもしれんがな」
 そりゃ、俺は王や政治とは無縁のただの子供だもんな。わかってはいたが、言われるとなんともいえない気持ちになった。
 双幻の物言いに海神は怒りを顕わにする。長いひげが大きくうねった。
「双幻! 王になんて態度ですか! だいたい、あなただって新王を呼ぶことには賛成でしたでしょう?」
「こんな子供だとは思っていなかっただけだ。とんだ外れクジをひいたな」
 外れクジ?
 黙って聞いていたレイだが、キッと顔を上げる。
 勝手に呼んでおいてそれはないんじゃないか?
「双幻! 今の言葉、取り消しなさい! 許されることではありませんよ! レイ様を王として認め、謝罪なさい!」
 大きな音を立てて海神が立ち上がった。会場が何事かと静まり返る。
 双幻は全く動じず、
「無理な相談だ」
 即答。
「だったら」
 レイは、腹の底から低い声を出した。海神がぎょっとしてレイを見る。黙々と食事をしていたセツもサラダをくわえたまま顔を上げた。
「だったら、認めさせてやる」
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