竜の軌跡

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 俯いたレイを見て、白竜が悲しげに髭を垂らす。
「早くしなければ、天権は滅びる事になるかもしれないのです」
「滅びる?」
「この国はずっと昔から玉衝ぎょっこうという国に狙われていたのです。しかし、清風様のお力でなんとかそれを防いでいた」
 よくわからないけど、王だけあって清風様とはすごい人のようだ。
「でも、そのキヨカゼ様が亡くなったから、ついに攻めてくるってわけか」
「そうです。普通、王が亡くなったら国の守りが手薄になります。なので、国は次の王が就くまで、王が亡くなったことを公にはしないのです」
「でもそのギョッコウって国はこの国の王が亡くなったことを知っちゃった?」
「そうなのです。どこから噂が洩れたのか……これは忌々しき事態です」
 呟いて、竜は疲れたようにうつむいた。
「それで早く次の王を就けようとしてるのか。でも、俺なんかが王になったって、軍も指揮できないし、ましてや政治のことなんてなにも知らないし」
「いいえ、あなたが王に就けば王使獣おうしじゅうが使えます」
「おうしじゅう?」
 また新単語。
「王使獣は、王だけが使える強力な国の守護獣です」
「しゅごじゅう? そんなこと急に言われたって、そんな大切なこと、すぐに決められるわけないだろ。大体、この世界のこともまだよくわからないんだし、それ以前に……まだ現実かどうかもわからないし」
 これが夢じゃないという結論は出せなかった。あまりに、リアルなのだ。
 今見ているこれが現実だったら。仮に王になったとして、学校に未練はないけれど、家に残してきた祖母が心配するに違いない。ああ、それから海外にいる父さん母さん……。
 現実だったら?
 レイはこれを少しでも現実と受け止め始めている自分に慌てた。現実なわけがないだろ。竜や城、王、ドラゴン。こんな馬鹿なことがあるわけない。
「御家族のことを心配してらっしゃるんですか?」
 悶々と悩むレイに、竜が声をかけてくる。多少的外れだが、現実的な質問だ。だがしかし、その後に続く言葉はひどく非現実的。
「あなたが王の血族だとすると、ご家族の方もこちらの国の方のはずですね。ご家族の名前を教えて頂けますか?」
 俺の家族がこちらの世界の人?
 ええ、そんなまさか。いやでも俺が王っていうならそうなるのか?
 とりあえず父から順に家族の名を挙げていく。竜は黙ってそれを聞いていたが、祖母の名のところでぴくりと耳を上げた。
「今の方、おばあ様ですか? 名をもう一度」
「え、ナルハ……だけど」
 竜はしばらく悩むように目を閉じていたが、ゆっくり頷く。
「間違いありません。龍の国の方です。それも、王の血族の一人」
「王の? ばーちゃんが?」
「そうです。生きておられたのですね……。しかし、彼女は罪人です。王に選ばれなかった」
 ばーちゃんが罪人?
「ちょっと竜さん、またわけわかんないことを……」
「竜さん? ああ、私の名をお教えしていませんでしたね。海神わだつみと申します」
 それからはっとしたように竜……海神が飛び上がる。
「ああ、私ってば、王となるあなたの名を聞くのを忘れていましたよ!」
「え、ああ、俺はレイ。準レイだよ」
「レイ様、大変失礼致しました。」
 海神が大きく頭を下げる。しっかりしているようで意外とドジなようだ。
「それより、俺のばーちゃんが罪人って」
 訊くと、海神はしまった、というような顔をした。言い辛そうに声を小さくする。
「ああ……ナルハ様は……その、この国から逃走なさった指揮官なのです」
 逃走――指揮官? ばーちゃん、すごく強そうなんですが。
「王の血族はもともと位が高いのです。ナルハ様も上級指揮官をしていらっしゃいました。しかし、その類稀なる空間転移の力を使って異国、日本に逃走なされたのです。その……理由までは存じ上げませんが」
 ああ、それで王の血族だとかいう俺は日本にいたのか。
「あれ、俺の母さんも王の血族?」
「そうであると思いますが……王玉が示さなかったことを見ると、王の血が薄いご様子ですね」
 で、俺に王の血が濃く出た、と。なるほど、これで辻褄が合って……。
「え、ちょっと待って。そんな、むちゃくちゃです。ワダツミさん」
 ありえない家族の秘密に混乱しはじめるレイ。そんなレイをよそに、海神はバタバタと尾を振った。
「さん付けなんてしないで下さい! 私はレイ様よりも位が下ですのに!」
 ああ、夢ならどうか覚めてくれ。俺はこの状況を夢といえる自信がないよ。
 ぎゅっとこぶしを握って、そしてやっとてのひらに汗が滲んでいるのに気付く。手を開くと指先が震えた。
 そんな様子を見てか、海神は声のトーンを落とした。非常に申し訳なさそうな声。
「申し訳ありません。突然、こんな話を聞いてさぞ混乱なさっているでしょう。とりあえず、お休みになられた方が宜しいかと……その、顔色が優れないようです」
 まったくだ。レイはうなずいた。夢だとしたら、なんて精神的に疲れる夢なんだろう。目覚めは絶対、最悪だ。

 レイは海神が整えてくれたベッドの前に佇んでいた。
 海神は竜にしては小さいと思う(実際の竜がどれほどの大きさかは知らないが)のだが、それでもレイの二倍ほどの大きさがある。
 遠目にその海神に比べて見ても天蓋付きベッドはかなり大きく見えたが、実際近くに寄って見ると、想像よりずっと大きく感じた。こんなところで寝たら布団に溺れて窒息してしまうのではないだろうか。五人はゆうに眠れそうなものを、一人用とはなんとももったいない。
 布団に入ろうと手を伸ばしかけ――レイは自分が着ているものに気付く。
 学校の指定制服。教室にいた、そのときのまま。
 教室からここに来たのだから、当然といえば当然だった。でもそれで納得していいのだろうか。
 急激に眠気が襲ってくる。とりあえず眠りたい。
「……さすがにこれじゃ寝づらいか」
 ベッドの隣にあった豪華なベージュ色の大きなたんすを開くと、宝石や金で飾られた豪勢な服がたくさん入っていた。よく見ると、ほんとんどが女物だ。
 たんすを色々物色して、やっと男も着られるような、それでいてあまりきらびやかでない服を引っ張り出す。とは言っても、薄青の布質は明らかにシルクっぽいつやと肌触り。ボタンは透明な石で出来ている。しかも、これがまたパズルみたいに複雑に付けられていた。
 どうにかこうにか複雑な構成のボタンを外し、服を羽織る。シルクの布は冷感を帯びていた。火照った体には調度良いかもしれない。ただ、すべすべした肌触りには慣れることができなかった。
 そうしてやっと、ベッドに向かう。
 布団の海原を前に、思い切りベッドに倒れ込んだ。体重でレイは布の中に沈み込む。羽毛布団の海。本当に溺れそう。
 枕に顔を押し付けたまま、呟いた。
「冗談じゃないよなぁ」
 この俺が一国の王、なんてさ。
 絡まった思考が脳を支配するよりも先に、ぼんやりと意識は薄れ、そのままレイは眠りに落ちた。夢は見なかった。

 耳に入ってきたのは穏やかな音色。目覚まし時計? あれ、うちの目覚ましはこんな音色じゃなかったはず。
 日が顔に当たって眩しい。天蓋についた、半開きだったルージュのカーテンを無意識に閉め、日光を遮断する。
 うーんと唸って、寝返りをうち、それからはっとして起き上がった。
 再びルージュのカーテンを開く。日光が飛び込んできた。レイは目を細めて窓の外を見、それから辺りを見回した。
 部屋の隅に、灰緑色の大きなドラゴンが三匹寝そべっていた。レイをここへ連れてきた生き物だ。
 よく見ると、三匹は、それぞれ違う色の首輪を付けていた。赤、青、黄色。首輪の先には、テニスボールくらいの透明な玉が付いている。光を発していたのはこの玉だったのか、とレイは納得した。
 じっと見つめていると、視線に気付いたのか赤い首輪の一匹が頭を上げ、真っ黒な瞳でレイを見る。
「夢と言ってくれよ……ドラゴンさん」
 レイは頭を抱えた。
 おかしい。寝て起きたのにまだここにいるなんて。
「どらごん、じゃありませんよ。淨来じょうきという使騎しきです」
 いきなりの声にびっくりしてレイが顔を上げると、扉の前に白い竜、海神が立っていた。 その手には朝食らしきものを持っている。
「勝手にお部屋に入って申し訳ありません。朝食をお持ちしました」
「ありがとう。でも俺、そこまでしてもらう身分じゃないし……」
 朝食をベッドサイドに置き、海神は困ったように微笑む。
「とんでもありません。しかし、私も元師げんすいに叱られてしまいましたよ。来たばかりの者に、いきなり王になれなんて非常識だ、と」
 元帥とやらがどんな方かは知らないが、こちらは常識人のよう。
「そりゃそうだ」
「この国の事をよく知って頂いて、それから考えて頂きたいのです。この国が、今どれだけ王を必要としているか、知って頂きたいのです」
 まあそれは聞いておいてもいいかもしれない。レイはうなずいた。
「王になることの最大のメリットに、王使獣があります」
「ああ、昨日ちらっと聞いた……国の守護獣……だっけ?」
「そうです。王使獣は王のみが使える、大きな戦力のひとつ。王使獣の強さがそのまま国の強さといっても過言ではありません。しかし、王が死ねば王使獣は開放される」
「まさに守り神って感じだね。前の王様が亡くなったってことは……今はこの国に王使獣はいないってこと?」
 王が亡くなったから、守護獣、王使獣がいない。だから敵国に攻められてピンチなのか。
「はい。今すぐこの国には王使獣が必要です。……しかし、王使獣はタダで手に入るものではありません」
「え、王になるだけじゃ、すぐそのオウシジュウは使えないの?」
「もちろんです。力ある王使族おうしぞくを探し、さらにそれを主と認めさせ、契約し、やっと王使獣として従わせることができます」
 オウシゾク? ケイヤク? なんだかとてもめんどくさそう。
 レイがうんざりした顔をしているのに気付き、海神はわたわたと尾を振った。
「はっ、わかり辛かったでしょうか? つまりですね――」
 また説明に入ろうとしたので、レイは慌てて海神を制す。
「つまり俺が王になってもすぐには王使獣ってのが使えないってことだろ?」
「普通はそうなります……が、幸いなことに前王、清風様の王使獣がこの国に残っているのですよ」
「へ? 開放されたんじゃないのか」
「いえ、彼らは……清風様のため、いえ、国のため、解放されてなおここに留まったのです。つまり、新しい王使族を探さなくても良いのです。呼び出したら、契約するだけ。あの清風様の使獣たちですから、強さもお墨付き」
 竜の前足で親指を立ててグッドサイン。って、テレホンショッピングみたいになってるぞ。
 主が死んで、開放されて、それでもなお、自主的に王使獣たちが国に残るとは。守護獣とやらの考え方はわからないが、清風様の信頼されっぷりが伺える。
 まあ、でもとりあえず、王になってからの戦力のことは心配しなくていいみたいだ。
「で、今の国の状況はどうなの?」
 ニコニコにしていた海神が突然うなだれる。こちらは相当深刻なようだ。
「敵国は、隣国の玉衝ぎょっこう国。この王都、山護は、山脈の防壁のお陰で今のところなんとか襲撃を防げていますが、他の町や村では、壊滅的な被害を受けたところもあります。ここも、次の襲撃に持ちこたえられるかどうか。同盟国である揺光りょうこうに援護要請をしましたが、返事が一向になく……」
 そこまで言って涙ぐむ。
「ああ、急かしてはいけないのはわかっています。けれど、レイ様には一刻も早く王になって頂かなければ」
「王になったら、王使獣が使えるからだろ?」
「もちろんそれもありますが、王がいるのといないのとでは、軍の覇気も違ってきます。民衆も希望を持つでしょう」
 レイは苦笑した。
「俺はそんな器じゃない。日本ではバケモノっていじめられたくらいだよ」
「バケモノとは、天権国の由緒正しい王族になんて輩でしょう! 私が直に成敗して差し上げたいくらいです。しかし、何故バケモノと? 失礼ながらそのようなお顔には見えないのですが」
「いや、俺の顔見て言ったわけじゃない。人が、急に吹き飛んじゃってさ。それを俺がやった、って言われて」
 苦々しげに言う。だがしかし、それを聞いた海神は、
「吹き飛ぶ? すばらしい!」
 予想外の反応。
「風の気術師の素質があるのかもしれませんよ!」
 ああ、こっちの国ではそういう風にとらえるのですか。
 本当に嬉しそうに目を輝かせる海神を見て、ちょっとこっちの国もいいかもな、なんて思ってしまう。
 覚めない夢なら現実と同じだ。でも、現実ならばそれなりに問題点もある。
「でも、王って王使獣従わせて威張ってるだけじゃないんだろ。政治とかしなきゃいけないんじゃないか? それに前王が亡くなったみたいに命を狙われたり……そんな危ないこと、できないよ」
「いえ、政治は我々がサポート致しますよ。しかし、命の危険は確かにあります」
 言ってから海神は少し沈黙する。
「……どうしてもレイ様が否、とおっしゃるなら王権を破棄することもできます」
 へ、とレイは顔を上げた。
「王は政治や軍事を学び、そうして務めることができるもの。まだこの国に来たばかりのレイ様を無理やり王座に就かせる権限は私達にはありません」
「でも、緊急事態なんだろ。王がいなきゃ国が危ない」
 そうなのです、と海神は紅い目を悲しげに細める。
「どうしてもレイ様が嫌とおっしゃるのならば、王の座に留まらなくても良いのです。でも……せめて、玉衝を追い返すまで。王になって、この国を救って頂きたい」
 ギョッコウという国を追い返したら、元の世界に戻っていい。逃げ道は作ってあるということだ。レイはうつむいた。
「我々の身勝手で巻き込んでしまって申し訳ありません。でも、この国は私たちにとってかけがえのないものなのです」
 ぽつりとこぼされた言葉。
 この龍という世界は、レイのいた世界とは違う。けれど、どちらも同じく多くの人――獣や竜たちが生きているのだ。この天権という国が攻め滅ぼされたら、多くの人たちが苦しむのだろう。戦争に負けた国の人々を、レイはテレビや教科書で学んできた。
 偽善だろうか。でも、自分が王になるだけで救えるなら、救ってやりたい。そしてなにより、こんな自分を必要としてくれている。
 レイは顔を上げた。
「俺、王様やるよ」
 レイの言葉に、海神は一瞬硬直。その後ぴょんと飛び上がって、目を潤ませた。がしっとレイの肩をつかむ。
「本当ですか? 本当に? レイ様!」
「うん、あ、でもとりあえずその玉衝って国を追い返すまでの」
 仮の王ってことで……。レイが言い終わる前に、海神はものすごいスピードで奥の部屋に消えていった。
「仮の王、か」
 あまりかっこいい響きではない。逃げ道を作っておくなんて、なんてずるいんだろう。帰る道が見えれば逃げたくなる。そんなことを考える弱い自分が嫌で仕方がない。
 王になれば、少しは変わるだろうか。
 大きな音がして、レイが振り向くと、小さな箱を持った海神が駆け込んでくるところだった。
「王になるにはこの王玉に認められなければいけないのです。王玉はそれぞれの国にひとつずつあって、王の力を宿しています。……さぁ、こちらを」
 手に持った箱を示され、レイはおそるおそる箱の中を覗き込んだ。
 中に入っていたのは、くすんだ灰色の小さな石。正直、綺麗じゃない。
「これが王玉?」
「そうです。さぁ、これに触れて下さい」
 海神に促されて、レイはおそるおそる手を伸ばした。
 あぁ、そういえば、こっちの国に来るときも、こんな感じで光に触れたんだった。あの時の――光に吸い寄せられるような感覚。ただ一つ違うのは、意識がはっきりしているということ。
 指先が石に触れる。チリッと、電流に近い痺れが走ったが、それを無視して握りこむ。
「あちっ」
 反射的に目を閉じる。石を握った右手の甲にジリジリと熱を感じた。同時に水底に沈むような感覚。だが、しばらくすると徐々にその感覚も薄れていく。
 目を開けると、海神が心配そうにレイの顔を覗き込んでいた。
「大丈夫ですか! 火傷は、してませんか?」
 指先を見る。何の傷もなかった。
「あれ、確かに熱かったんだけど……」
 言いながら手をひっくり返して、レイは驚いた。
 手の甲に何か模様が刻まれている。縦向きの楕円形を二枚の葉で包むような単純な模様。
「わ、なんだこれ」
「天権の国印……王となった証です。やはりレイ様は王にふさわしい。この王玉はその国の王の血族、もしくはそれに相応しい者にしか触れられないのですから。私などが触れたら大火傷してしまいますよ」
「これに触って、手に印が出て……それでどうするの?」
「これでレイ様は実質王になりました。……ああ、ありがとうございます! 本当に感謝しきれません」
 海神の目が嬉しそうに潤んでいる。今にも抱きつきそうな勢いだ。
「え、これだけ?」
「はい。実際王となれば国を挙げて儀式が色々あるのですが。今回は緊急事態ですからこれで充分なのです」
 言って、海神は王玉を箱ごと差し出す。これを身に着けろというのだろう。レイは灰色の石を箱から取り上げる。王以外のものが持つと熱を発するというそれはひんやりと冷たいままだ。
「私はこれを元帥達に報告しに行きます。レイ様はどうぞごゆっくり。ああ、そうだ、その王玉は首に掛けておいて下さいね」
 口早に言い残し、忙しそうに海神は部屋を出て行った。それを見届け、改めて王玉を見て、レイは目を丸くする。
「あれ」
 王玉は、ただの灰色の石ではなかった。よく見れば石は半透明で、さらには角度によって閃光のような蒼や翠の光をきらめかせる。その輝きははレイが王になったからなのか、はたまた最初からこのような石だったのかはわからないが。
 石の先についていた紐を首に掛ける。
 ――王だなんて、こんな俺にできるのだろうか?
 応えるように王玉が光る。右手の甲には国印だという不可思議な模様。子供のころみたいに胸がドキドキしている。不思議と恐怖は感じない。
「……まぁ、やるしかないか」
 こうしてレイは、見ず知らずの世界の、王となったのだった。
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