竜の軌跡

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  --5--  

 その夜、レイは眠れなかった。
 今頃になって震え始めた冷たい指先をぎゅっと握りこむ。
 目を閉じると浮かんでくるのは、煌めく刃の色と音。
 ――もしかしたら死んでたかも。
 振り払うように寝返りを打つが、記憶にこびり付いた死の恐怖は消えない。
 王になる、戦いになる。言葉ではわかっていても、現実的には受け取れなかった。しかし、玉衝ぎょっこうの王護使に襲われ、死と隣り合わせの現実に気付く。
 現実はゲームデータのようにセーブもリセットできないのだ。
 戦争になったら、自分はまっさきに命を狙われるだろう。相手は、この国の前王を呪い殺した凶悪な国。明日は生きていられるのか? むしろこの恐怖に呪い殺されてしまうような気がした。
 この部屋で寝ているはずの、五匹の王使獣の姿は暗くて確認できない。広い空間は冷たい空気ごと淀んだままだ。
 大きな窓から見える空は暗黒、星の光ひとつ見えない。 こんなに暗い空に、朝日は昇るのだろうか。

「おはようございます……ってレイ様、いかがなされました?」
 朝、部屋に入ってきた海神は、レイを見るなり目を丸くした。
「え、何が?」
「お顔色が優れないようですが」
 顔色が悪い? 眠れなかったからだろうか。身を起こすと、体がひどくだるいのに気付いた。
 海神がベッドのカーテンを大きく開く。顔に差す日の光は眩しく、鋭い。レイは反射的に目を閉じた。
「そんなにひどい? なんか、眠れなくて。そのせいかも」
「眠れないのも無理はないですね。昨日、あのような事があったのですから……」
「フン、この程度で怯えるような王にこの国が救えるものか」
 部屋の端から冷たく言ったのは、海神いわく、王使獣の中でももっとも扱いづらいという難物、燈翼ひよくだ。姿は、紫色のとても大きな翼竜のよう。
「燈翼、それは言いすぎですよ。レイ様は異世界から来た方。命の危険に遭えば恐ろしくもなるでしょう」
 燈翼に対し、諭すように女性の声で言ったのは、青緑色に光る鱗を持った大きな蛇型の王使獣。大きな金色の瞳と頭に突き出す六本の角だけ見れば恐ろしげだが、首周りと尾の先はふさふさした白い毛で覆われており、優しげな口調もあって、全体的には穏やかな印象が勝る。
「ジャクはいつも甘いのですよ」
 初めて聞く声。こちらも女性のような声だが、蛇句じゃくと呼ばれた大蛇のような優しげな声とは違い、強めの口調だ。
 声の主は、明るい金のたてがみと、山吹の毛を持つ、大きさも姿も狐のような王使獣。額には鋭い一本の角。
「リュウキの言うとおりだ。王になると決めたからにはこの程度のことで怯えてもらっては困る」
 琉希りゅうきと呼ばれた狐型の王使獣と燈翼に言われ、雀句は悲しげな表情になった。
「琉希、燈翼。レイ様を軽んじるような発言は控えて下さい!」
 海神が怒って叫ぶ。琉希はツンとそっぽを向き、燈翼はやれやれと首を振って口を閉じた。
「レイ様、あまり気にしないようにして下さいね。レイ様のお命は必ずこの私がお守り致しますから!」
 うつむいたレイを見て、海神は慌てて慰めの言葉をかけてくれる。だが、レイの心は晴れない。
「……俺、死ぬのが恐いよ。琉希と燈翼が言うとおり、王になんてなれない」
 レイは小さく呟く。それを聞き取った燈翼がほらみろと尾を打ち、海神と他の王使獣達が口論を始める。
 耳の奥で皆の言葉が交錯してぐるぐる回った。
 聞きたくない。ここにいたくない。
 レイはゆっくり立ち上がった。熱でもあるのだろうか、頭がガンガンする。風にあたりたい。
「レイ様?」
 海神が訝しげに訊いてくる。
「……ごめん」
 とっさにそう返し、気付いた時には部屋を飛び出していた。
 どこでもいいから、気の休まる場所へ。城の中にはいたくなかった。王である責任を突きつけられているような気がして息が詰まりそうだったからだ。
 途中、何回か兵に捕まりそうになったが、なんとかごまかして振り切り、迷路のような城内をひたすら下って、大きな扉から外に走り出る。
 しかし、城門の厳重な警備の目をごまかす事はできなかった。寝起だったため、薄着のまま。それも子供が城内から飛び出してくれば不審がられもする。
「おい、お前、どこへ行く?」
 犬頭の門番がレイの姿を見止めてレイの腕をつかんだ。
「ちょっと……散歩です」
 息を切らしながら、苦し紛れの言い逃れ。
「見慣れない子供だな……ん?」
 つかんでいたレイの腕を見て門番は硬直した。右手の甲に、天権の国印が煌めいている。
 よし、これなら……。
「王印っ? ま、まさか新王さ」
 言いかけた兵の前にレイは人差し指を一本立てる。途端に門番が口を噤んだ。
「命令だ。これから俺は外に出るが、このことを一切誰にも他言しないように。すぐ戻るから」
 精一杯の威厳をはらませて言えば、門番はこくこくと何度もうなずく。
 王になれないなんて言った後だが、ここは仕方がない。レイは門番にお礼を言って城門から外に出た。

 天権の城下町は想像していたよりもたくさんの人々で賑わっていた。レイは火照ってだるい体を動かし、人ごみの中に紛れこむ。
 王であるという現実から逃げたくてついつい城を飛び出してしまったが、城を出たところで行く当てもない。レイは、とりあえず嫌な気が晴れるまで城下町を見学してみようと決めた。
 この町は、一度この世界に来るときに上空から見たのだが、実際に町中に立ってみると雰囲気がぜんぜん違う。晴れやかな空の下、所狭しと店が並び、たくさんの人や獣人、獣たちが行き交うそこは、生物の温かみを肌で感じられる場所だった。
 辺りを見回しながらレイは町中を進んで行く。食材の店、衣類を売っている店、骨董品が並んでいる店。それは日本の商店街ととてもよく似た光景で、城なんて非現実的な場所に比べればずっと安心感のある風景だ。ただ、獣人や獣の姿を見るたび、ここが異世界であると認識させられるのだが。
 天権って、城下町だけでこんなにたくさんの人がいるんだな。城の窓から見ただけではわからなかった。
 しばらく色々な店を見回っていると、町外れに出る。さらに進むと、賑やかだった人々の喧騒が聞こえなくなり、ところどころ小さな林と、民家が立ち並ぶ静かな場所に出た。
 民家の合間からは、干してある洗濯物や、小さな畑、花が咲き乱れる庭などが見受けられ、生活感を感じさせる。家々の間を進んでいけば、洗濯物を干す鳥人や、ガーデニングに勤しむ人などもぽつぽつと見ることができた。
 こっちの世界も、自分がいた世界も、どっちも同じ暮らしをしている。お店で食材を買って、洗濯して、庭いじりをして。人の姿をしていようがしていまいが、おんなじなのだ。
「あら、あんた見かけない子だね。どこの子?」
 背後から急に声をかけられ、レイは飛び上がった。振り向くと、人のよさそうなおばさんが微笑んでいる。
 怪しまれてはまずい。レイは慌てて言葉を繕った。
「あ、えと、その……迷子なんです」
 って、もうちょっとマシな言い訳思いつかないのか。自分の口下手さに後悔する。
「迷子? どこから来たんだい?」
「ま、町のほうから」
「町って、サンゴ商店街の方から来たのかい? あそこは賑やかだからねぇ」
 レイはとりあえずうなずく。
「それにしても良い服を着ているね。貴族の子かい?」
 おばさんが物珍しそうにレイの服を見ながら言った。レイが今着ている服は、寝間着用の薄い着物だが、王の着るものだけあって材質は最高級。普通の人々から見れば相当良い品だろう。
「えーと……そんな感じです」
 レイが答えると、おばさんが急に声を小さくする。
「そういえば、清風きよかぜ様が亡くなったって本当かい?」
「え?」
「風の噂でね、清風様が亡くなったんじゃないかっていう話を耳にしたんだよ。貴族のあんたにはその真相がわからないかい?」
 レイはおばさんに気付かれないよう、右手の甲を袖の中に隠した。
 海神は以前、王が亡くなったら国の守りが手薄になるから、国は次の王が就くまで、王が亡くなったことを公にしないと言っていた。
 民はまだ知らないのだ。前王、清風様が亡くなったこと、そして、新王が就いたこと、自分がその新王であるということを。
「すみません。わからないんです。あの、俺のところにもそこまでの情報は入ってこないので」
「そうかい。やっぱりねぇ、重要なことだものね。でも万一、清風様が亡くなっていらっしゃっていたら、この国もどうなるかわからないねぇ」
 おばさんが顔を曇らせる。
「ほら、今の王の血族はみんな絶えたってんだろ? もしかしたらこの国ももう駄目かもねぇ」
 そうか、清風様の王の血族はみんな絶えたと思われてるんだ。自分は日本――異世界にいたからわからなかったようだけど。
 もしも血族が絶えた場合、また王玉が次の王の血族を示しだすと海神が言っていたが、それにしても、国がもう駄目とは随分悲観的だ。
「血族が絶えてもまた新しい血族の王が就いて国を守ってくれるでしょう?」
「次の王も清風様のように立派とは限らないからね。良い王様が続くなんてこと、滅多にないそうだから」
「王玉が選ぶのに悪い王が就くなんてこと、あるんですか?」
 王玉が律儀に次の王を指し示すというのだから、わざわざ悪い王を選ぶこともないだろう。レイはそう思っていたのだが。
「良い王が就く方が珍しいね。ほら、隣国の玉衝の王だって最悪だろう? 玉衝の前王なんて暗黒の帝王とも呼ばれたそうだし。そもそも王玉なんてもの、信用しない方が良いんじゃないかと私は思うんだけどね」
 確かに玉衝の王は最悪な王に思える。でも、もしそうなら、王玉に選らばれた自分は何なのだろう。
 うつむいたレイを見て、おばさんは軽快に笑った。
「まあ、清風様を選んだのも王玉なんだし、一概に悪い王ばかりとは言えないのも事実だけどねぇ。まあ、私たち国民にとっちゃ、王が誰であれ、安心して暮らせればそれでいいんだけども」
 それはレイにも良くわかる。日本にいたころはレイも国民の一人で、テレビで他国の戦争のニュースを見ては、自分がその国に住んでいなくて良かったと思ったものだ。
 でも、おばさん、この国は戦争になるんだよ。
 日本にいたころは自分たちの住んでいる場所が戦場になったらなんて、考えもしなかった。でも今ここではそれが現実になろうとしている。
「ここのところ、玉衝がこの国に攻めてきているんだろう? 玉衝とは一時大きな争いがあったけども、清風様がそれを治めてからおとなしくなってたんだ。そこに清風様が亡くなったって噂が流れてくる。どうも良くない状況になってるんじゃないかって思ってしまうんだよ」
 国民は薄々察している。いるのかいないのかもわからない王にすべてを託すのはさぞ不安だろう。
「あの、もしも……もしも、清風様が亡くなっていて、それで新しい王が就いていて……その王が、政治も何にも知らない子供、だとしたら」
 言って、レイはおばさんの顔を見上げる。おばさんは少しきょとんとしたあと、軽快に笑いだした。
「あらあら、何を言い出すのかと思えば。そりゃホントなのかい?」
「ち、違います。ただの想像なんですけど。もしそうだったらこの国はどうなっちゃうのかなーって」
 ふむ、と唸っておばさんは腕を組んで目を閉じる。
「そうだねぇ。私だったら国の心配よりその王様を心配するね」
「王の?」
「うん、どれだけ辛いだろうかってね。その王様がどれくらいの歳の子供かはわからないけど、この一国を任されるんだろう? そりゃあ大変だと思うよ。私だってごめんだもの」
 予想外の返答にレイは目をまばたいた。
「私には王様の苦労なんてわからないけどね。まあ、そんな王様が頑張ってくれる国ならきっといい国になるだろうよ」
「……そんなものでしょうか」
「そんなもんさ」
 根拠はないけどね、とおばさんは笑う。曇りのない笑顔だった。
 自分の心配ばかりしていたのが恥ずかしく思える。戦争になったら一番被害を受けるのは国民たちなのに。
 ――城に戻ろう。自分は自分のやるべきことを放棄してはいけない。
「ありがとうございました。俺、行きます」
「おや、道はわかるのかい?」
「はい。なんとか思い出せそうなので」
 そうかい、気をつけて、と おばさんは屈託のない笑顔でレイを送ってくれる。レイはおばさんに頭を下げてから、もと来た町の方へ足を向けた。
 民家を抜けて繁華街に入るというとき、頭上から声が降ってくる。
「気が済んだか?」
「セツ……と事車じしゃ
 見上げた木の枝の上、そこに立っているのは白髪の青年セツと、その肩に乗った王使獣、事車だ。
「まさか、つけてたの?」
 セツは身軽に着地し、笑った。
「レイをつけてたのは事車。オレはその事車の後に付いていっただけだよ。王を一人で行かせるわけないだろ」
 うまく抜け出したと思っていたのだが、よく考えれば、部屋をものすごい勢いで飛び出しておいて、気付かれないわけがない。
「なんだよ、早く声かけてくれればいいのに」
「いや、気晴らしは必要かなーって。顔色も悪かったし、気に病んでたみたいだったから。でも、門での王様っぷりはなかなかサマになってたぜ?」
 セツの肩に乗った事車もうなずく。
「かっこよかったですよ」
「門でって、あれは……もう恥ずかしいな!」
 思い出して赤くなるレイに、セツは優雅に手を差し出した。
「それじゃ、そろそろ帰りましょうか。王様」

 城に帰ると、真っ先に海神が駆け寄ってきた。ほろほろと涙を流しながら。
「ああ、レイ様! 心配致しましたよ! 私がお心を傷つけてしまったようで……」
「え、いや、海神のせいじゃないよ」
「まったく、勝手な王です」
 冷ややかな声は琉希だ。だがしかし、レイは怯まなかった。
「急に城を出ていったのは悪かったと思ってる。心配かけてゴメンな」
 言い返されたのが予想外だったのか、琉希はわたわたと前足を振る。
「し、心配などしていませんよ!」
 その様子をみて穹天はにやりと笑った。
「何を言うか琉希。護衛はどうしただの捜索は出したのかだの、一番言っていたのは琉希じゃないか」
「ありがとな、琉希」
「新王にいきなりいなくなられても困るからです」
 琉希はふんとそっぽを向く。ただ辛口なだけの王使獣ではなさそうだ。
「いやーしかし、レイ様が無事でなによりです。いつ敵襲があってもおかしくないですからね。本当に良かった」
 ぎゅっとレイの手を握り、海神が再び目を潤ませる。
「もう、そんな大げさな……」
 レイが呆れて言いかけたとき、廊下から多数の足音が聞こえてきた。
「なんでしょう? 騒がしいですね」
 海神が言うと同時に扉が勢いよく開く。そこには三人の兵らしき人がきちりと整列して立っていた。何事かと皆が耳を澄ます。
「失礼します! ただいま、空花くうか州に玉衝より襲撃があったとの報告がありました!」
 その場がそのまま凍りついた。
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